愛してるの響きだけでお金になる気がしたよ

文筆業リハビリ兼子育て日記兼劇団日記兼はきだめ

妊娠発覚 その3 (ちゃんと発覚します)

 

やべえ、もう前の記事から一週間も経ってる。

二十代の頃先輩方にかけられた「三十過ぎたら早いわよ」の呪いの効果を日に日に噛みしめていますが、最近は「四十過ぎたらもっと早いわよ」という新たな呪いをかけられており震えあがっておるところです。そんな加速装置いらないよ。

わたくしも三十になってそろそろ半年が経とうかというところで、正々堂々とドモホルンリンクルとかSK-2のお世話になれる年頃なんですが、うーん、三十を過ぎたから、というよりも、子供が生まれてからが本当に早い気がしますね。多分、ちゃんとした専業主婦の方に比べたら、自分の時間もなんとか作れるし、外にも一人で出たりしているのですが、家に居て子供と過ごしていると本当に時間が経つのが早いです。あー子供可愛い、可愛いわー子供ー、って、はしゃいでたらもう夜、みたいな。この記事だって書き始めたのが夕方四時で、合間合間にあー子供可愛いわーってやってたらもう今夜中ですもんね。一時ですもん。眠いですもん。寝ようかな。もうちょっと頑張ろうかな。今回もリアルタイムでお届けしております。

 

さて、この一週間何をしていたかというと、今年で劇団を卒業?引退?する宮澤という劇団員のお見送り旅行に行っていました。伊豆の、劇団スタッフが経営する別荘で二泊三日。超楽しかった。旅行ってあんな楽しいもん?すっごいはしゃいじゃった。大人なのに。その辺のお話はまた次回ということで。

 

そんなわけで完全に更新するタイミングをなくしてしまいましたし、もうどこまで書いたのかも記憶が朧です。そしてあまりにも反響がないので段々「読んでるものはいないのか」状態になってきました。まあでもいいや。とりあえずリハビリなので。書いていきます。

  

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前回の記事では二月の公演前から公演中の様子を書きましたが、まあ、その後、なんやかんやで発覚しました。引っ張った割に雑ですいません。箇条書きにしますと、

 

本番終了後、体調不良がなかなか戻らない

→そういえば生理もこない

→そういえば食欲もおかしいし体重の増加もやばい

→念の為妊娠検査薬を使ってみる

→例の赤いライン出る

→それでもまだ信じられないので病院へ

→三ヶ月です

→できとるやないかい

 

みたいな感じでした。

ちなみに発覚した当時の私の心境は「やっべー、あーそう、そうかー、まーなー、しょうがねえよなー、あーそう、へー、あそっかー、生むかー」みたいな感じで意外にうろたえもせず、旦那も「あーそう、へー、そっかー、まあそうなるよなー」みたいなで、あっさりしたもんだったんですが、劇団内、劇団員とスタッフの衝撃たるやとんでもなかったようで。

劇団内のグループラインで妊娠のことを皆に伝えたら誰も信じてくれなかったり(またまた~、みたいな感じで流す人と、悪い冗談言うなあ、って感じで全くスル―だった人もおりましたね)前回の記事に書いた相方役・丸光なんかは、旦那から居酒屋で私の妊娠を告げられ、「へえ、そうなんすか」と平静を装いながら震える手で枝豆をひたすら食べていたらしいとか、同じく劇団員、津枝新平は電話で直接私から妊娠したと聞き、全く身に覚えがないのに何故か自分の子供ができたような気になって、将来を見つめなおしたりしたようです。(電車内で聞いて、膝から崩れ落ちたそうです)

基本的に私も旦那も格好つけなので、自分が気持ちいいことをしておいてやべえやべえとオロオロすんのもダサいよなあと、発覚して結構すぐに腹は決まってしまったのですが、それでもやはり、自分の状況を色々と考えてみると出産と子育てへの「不安」はありますし、何なら「不安」しかありませんでした。しかし、夫婦そろってその「不安」が「堕胎」という判断には繋がることはなく、すぐに「生む」ということに決まりました。

ちなみにですが、私も旦那も全く子供が好きではありません。私に至っては一生子供は作らない気でおりましたし、親にも二十歳をすぎた頃からずっと孫は諦めてくれと言ってきました。そして私はずっと旦那を子種を持たない男性だと思っていましたし、(幼少期に大病を患い、出来にくいと言われていたので)結婚もする気はありませんでした。さらにちなみにですが、私はこれまでペットを飼ったことがありません。植物も育てたことがありません。もっと言うと、そういったものの世話をするということが嫌で仕方がなかったのです。動物や植物でさえも、私の人生には煩わしいだけでした。私はそれほどまでに自分が可愛く、一生自分の世話だけをして生きていたかったのです。

 

この辺は旦那に詳しく聞いたわけではないので私だけの心情なのですが、

端的に言うと、私は「堕胎」の十字架を背負いたくなかったのです。

「堕胎」する勇気がなかった、ともいえます。

 

勿論、堕胎という事象や、堕胎という判断を下した方にも様々な事情があり、それを一概に否定する気はさらさらありません。それでも私はしたくなかったというか、できなかったのです。「私は人間をつくってしまった。そしてその人間を、自分の意思で殺すのだ」という重圧と責任に、耐えられなかっただけなのです。今思えば、ものすごくマイナスな思いで出産を決めてしまいました。私にとっての妊娠発覚は、喜びに満ち溢れたことではなかったのです。

 

画像は母子手帳というものにサインをする私です。

思えばこれが母親としての第一歩だったような気がします。

今も母親になれているのかどうか定かではありませんが。

 

ああ!なんかすげえ真面目!だしなんか暗い!!

どうしよう!!やっと発覚したのに暗いよ!!!!

次回は明るい記事にしたいと思います!!!